ヴァーツラフ・ハヴェルの著書「力なき者たちの力」や「反政治のすすめ」などでは、「ポスト全体主義(Post-Totalitarianism)」ということを提唱しています。この概念は、いわゆる古典的な「独裁制」とは一線を画す概念といわれます。ハヴェルは、ナチスドイツのヒットラーやソ連のスターリンのような単なる一人の独裁者が力で支配する社会ではなく、当時のソ連型社会主義体制をより巧妙で、より「システム」的な支配構造として定義しました。
主な違いは、以下の3つのポイントに集約されます。第一は、支配の主体:個人か、システムかということです。古典的独裁制は特定の独裁者や少数のエリートが、物理的な暴力や軍事力で国民を屈服させます。権力の源泉は「人」にあります。それに対してポスト全体主義: 支配の主体は特定の個人ではなく、「自動運動するシステム」そのものといわれます。指導者もまた、システムの維持という目的に縛られた部品に過ぎないということです。誰もがシステムに従属し、同時にシステムを支える加害者にもなる構造、これがポスト全体主義社会です。
第二は、服従のメカニズムにあります。古典的な「独裁」は暴力か、イデオロギーかという対立軸です。古典的独裁制は、反抗すれば逮捕され牢獄へ送られ、拷問を受けるという「剥き出しの恐怖」が支配の根幹です。それに対して、ポスト全体主義は、暴力は背景に退き、偽りの世界観というイデオロギーが前面に出ます。人々は心から信じているわけではなくても、生活の平穏を守るために、看板を掲げたりスローガンを唱えたりという「儀礼的な服従」を繰り返すのです。ハヴェルはこれを、青果店の主人が店の窓に「世界の労働者よ、団結せよ!」というポスターを貼る例で説明しました。これは共産主義への情熱ではなく、「私は無害な市民です、放っておいてください」という自己防衛の記号なのです。
第三に、支配の境界ということがあります。どのようなことかといいますと、古典的独裁制: 支配者と被支配者の境界が明確です。外部か、内部かでいえば、外部は我々であり内部は彼らとなります。ポスト全体主義は、支配の線は社会を二分するのではなく、「一人ひとりの人間の中」を通っています。人はシステムに順応することで平穏を得る一方、自分の誠実さ(真実)を犠牲にします。つまり、すべての個人がシステムの犠牲者であると同時に、システムの共犯者となってしまうのです。


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